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今の自分に満足かと言えばそうでもない。

今の自分に満足してないかと言えばそれも違う。

過去の自分が失敗や悲しみを経験し乗り越えて

今の自分を作り上げたからこそ、こうやって生きている。

 

自分の人生はとってもちっぽけで、

他人から見たらクソみたいなもんで、

他人に自慢出来る事もなければする気もなくて。

自分の考えを理解してもらうつもりもなければ

肯定してもらいたいとも思わない。

否定されるのもイヤだけど・・・。

 

人は時々、自分の人生を振り返る。

あの頃はたのしかった。

あの時ああすればよかった。

あそこで違う道を選んでたらどうなっていただろうか。

 

記憶の引き出しは沢山あれど、全部を開けることは不可能で、

ほとんどは開けることのないまま消滅してしまう。

楽しかったこと、悔しかったこと、特に強く記憶に残る

程度の事しか思い出すことはないのかもしれない。

 

でももしかしたら、それらは大して重要ではなく、

もっと素朴でなんの変哲もないありふれた日常の中の

物、事、感情、景色、匂いの中にこそ自分を形成してきた

振り返るべき何かがあるのかもしれない。

 

今から2年前。

仕事で訪れた大学は、小さい頃に住んでいた街にあった。

その大学の中にある池で、アメンボを捕まえたりして遊んだ。

そんな懐かしい街をカメラ片手に歩いてみたくなった。

 

大きかった公園、近所の路地、広い通学路、急な坂道。

よく遊んでいた橋の脇にある階段、通っていた幼稚園。

だと思っていたのに、目の当たりにしたのは

小さな公園、車のすれ違えない路地、狭い通学路、ただの坂。

何もかもが全く違っていて、スケール感が鈍る。

 

記憶は時間の経過と共に曖昧になり、その曖昧な記憶は

いつのまにか正しい記憶としてすり替わってしまうようだ。

 

この街に住んでいた頃には未来なんて考えていなかった。

毎日の、その瞬間を過ごすだけで何も考えずに生きていた。

この先出会う人や失ってしまう人など知るよしもなく、

気が付けば自分の人生をスタートしていたわけだ。

 

そういう感情に浸れたのも、大人になって再びこの街を歩き

自分の記憶を呼び起こしたからで、そうでもしなければ

思い起こさないまま終焉を迎えているに違いない。

思い起こす必要があったのかは解らないけど、私にとっては

とても意味があったように思える。

 

撮った写真は保存しただけで、今日まで見る事は無かった。

久しぶりに育った街を見てみたい衝動と、見た結果のズレを

自分の中で整理出来ず、写真として見返す気になれなかった。

 

今回、サイトを一から作り直すにあたり、自分という人間が

どんな事を経験し、どんな事を考え、どういう思想を持って

写真と向き合っているのかを自分自信と対話するために

最適なタイミングだと思い現像してみました。

 

世の中に溢れている私的な写真は興味が無いし好きじゃない。

誰かの感情を押しつけられるなんて気分の良い物では無い。

中身のないそれっぽい写真を誰でも撮れるようになった今、

写真を生業としてる人間がそういった写真を世に出す時代は

もう数年も前に終わっているし、今更感が拭えない。

 

そもそも私的な写真を世に出す事は自分の中ではあり得ず、

自分の記憶の記録として手元に残すだけに留めている。

 

 

のに、だ。

こうやって私的写真をアップしているわけだ。

 

 

穴があったら入りたい。

 

 

 

 

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